真珠湾攻撃が始まった――姉妹教師の日本語学校

真珠湾攻撃が始まった
――1941年12月7日

ハワイに住む福島県出身者の戦中・戦後

姉妹教師

言葉を通して友達に


img209.jpg 真珠湾から車で約10分の公立パールシティ・ハイランズ小学校。幼稚科の教室からかわいい声の日本語が響く。日本語教師の浅利美恵さん(66)が忍者の人形を見せながら「着物の色は?」。「クロ!」。5~6歳の子供たち20人が一斉に元気いっぱいの返事をする。動物の絵を見せると「ブタ」「ウマ」「ウサギ」と単語が飛び交う。「シープ」と英語が先に出る子供も。

 日本語の授業を正規のカリキュラムに導入して今年で4年目の同小では、幼稚科から5年生までの児童が週に1度30分の日本語の授業を受けている。もっとも、児童の興味を持続させるため、英語の歌に日本語の歌詞を付けて教えたり、風呂敷や大きなサイコロを見せたりと、数える側は汗だくである。

 浅利さんは本宮町生まれ。父が貿易商で幼少期に米国で生活した。横浜のミッションスクールに学び、戦時中も選抜されて学校の屋根裏で英語を勉強出来た。家庭で「コップ」「ラジオ」などと日本ふうに言おうものならたちまち父に「カップ」「レイディオ」と言い直された。こんな経験が役立ち、福島に来た進駐軍で通訳として勤務。そこで出会った2世の夫と結婚、1947年ハワイに渡った。

 日本語教師の道に入ったきっかけは新聞に出た私立日本語学校教師の募集広告を見て。公立小、中学校の授業を終えた子供たちが対象だった。かつて日系人でも3世にもなると「私は米国人だ。なぜ日本語を学ぶ必要があるのか」と突っぱねていた。

 しかし日本の経済成長や商品の良さを知るにつれ、日本への関心が高まり、日本語学習熱が広まった。浅利さんは各地からの要望で61年から日本語学校を設立、現在は3校の校長を務める。さらに公立学校からの要請で日本語を指導に行くなど大忙しだ。
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 教える日本語は“生き物”である。「言って参ります」と教えると、日系人向けに放送される日本のテレビ番組を見た生徒が「行ってきますと言っていた」と質問する。「ちびまるこちゃん」の番組を見た生徒が主題歌の歌詞の一節である「キオスクは駅の中」の意味を質問してくる。「キオスクが何なのか、なぜ駅の中なのか見当がつかなかった。今年8月に墓参りで日本に行き、ようやく分かった」と、浅利さんは子供の話題についていくのも一苦労の様子だ。

 授業全体を通して心掛けているのは「強制せず、楽しく学ぶ」こと。米国の教育が個性を伸ばすのに重点を置いているため、日本のように頭ごなしにはしからない。子供が納得いくまで説明する。子供も大人と同じ人格があるという考え方だ。

 また「楽しくなければ子供は関心を持たない。褒めながら教えることが最も重要」と力説する。「だから、ハワイでは子供の自殺を聞いたことはない」という。

 日本から日本語教師になりたいという照会が多数来るが、土地の事情を知らずに教えるのは難しい。子供は自由に発言するよう育てられているため、単刀直入な発言に「侮辱された」と泣き出して1日で辞める先生もいるほど大変な側面がある。

 ハワイの日系人と結婚した妹の渡辺智恵さん(63)も同じように日本語学校を開校し、指導に明け暮れている。

 「日本語を通して日本と友達になってほしい。日本を好きになってほしい。将来、日本に関心を持つ、日米両国のよき理解者となる人材が育ってくれれば」と日本語教師歴41年の浅利さん、36年の渡辺さんは口をそろえた。

 本宮町在住の弟で、福島女子短大検査役の糠沢隆雄さん(62)は「2人とも負けず嫌いだし、教育者としての誇りを持っている。頼もしい姉たちですよ」とエールを送る。

 日本での流行は間を置かずハワイにも伝わる。今は「けろっぴ」というマスコットが大人気だとか。子供の世界を十分理解しておくのも仕事の1つだ。

 「ねえねえ。いま日本では子供の間で何がはやってんの?」。2人が身を乗り出してきた。

【日本語学校】


 小、中学校の児童や生徒を対象にしており、子供たちは放課後通う。

 人気の理由は(1)日系人が多い、(2)観光業中心のハワイでは接客などに日本語が欠かせない、(3)就職の条件が「日本語が出来ること」という企業もあり、就職や給与に響く――など。

 ハワイの公立小学校では中国語やスペイン語など約10カ国から独自に1カ国語が授業に取り入れられており、日本語を学ぶ児童は60%に達する。日本語の授業を取り入れる学校は年々増加中だという。

 公立中、高校でも8ヵ国中52%が日本語選択者だ。